
あの日、あの瞬間――もし違う選択をしていたら、彼女たちの未来はどうなっていただろう。
藤本タツキの短編傑作『ルックバック』を読んだ人は、100人中100人がそう感じるはず。
ラストシーンで感じるのは、取り返しのつかない現実か、それとも別の世界線への希望か。
今回は、その結末を別視点から考察し、「もしも」の可能性に迫ります。
漫画「ルックバック」とは?
初版発行日 | 2021年9月3日発売 |
掲載誌 | 少年ジャンプ+ |
作者 | 藤本タツキ |
巻数 | 全1巻(コミックス) |
ジャンル | サスペンス・ヒューマンドラマ |
Wikipedia | 「ルックバック」のWikipedia |
『ルックバック』は、2021年7月に「少年ジャンプ+」で発表された読み切り漫画。
1巻のみという短編ながら、圧倒的な画力・構成力・深いテーマ性で大きな話題を呼ぶことに。
漫画が大好きな少女藤野と京本が出会い、徐々に交流を深めていくなかで、育まれる友情。
そして、2人の人生と悲しい未来を描き、人生の理不尽さや過去の忌々しい事件への追悼を行っている稀有な作品です。
読み終わった後、読者が十人十色の感想を持つ、“余白”の多い作品として、国内外で高く評価されています。
「ルックバック」京本の事件と藤野のその後
2016年1月10日
京本が通う山形市の美術大学に住所不定の男が侵入し、斧のような物で学生らを切りつける事件が発生。
京本を含む12人が殺害され、3人が重体となった。
漫画の執筆中に訃報を知った藤野は、ショックのあまり漫画を描くことが出来なくなります。
京本の部屋の前で泣き崩れる藤野はある妄想を行います。
それは京本と藤野が出会わない世界線。
小学校6年生の卒業式後、藤野が京本の自宅に訪れた時、京本は藤野が卒業証書を置いて帰るまで声を出さずにやり過ごします。
その後も執筆活動を続ける京本。
美大に入学した京本は絵の勉強を必死に続ける毎日。
2016年1月10日
美術科洋画コース棟2階にて設置してあるソファに座り休息をとる京本。
在学生が階段から金属がぶつかるような音を聞いた。
11時19分、男が外階段から棟内に侵入。休息中の在学生と接触する。
手には実習棟で拾った先端の鋭利な工具を持っていた。
男は「俺のネットにあげてた絵!パクったのがあったろ!?」と激昂し、工具を振り回し京本を襲う。
京本に襲い掛かる男の後ろから藤野が飛び蹴りを浴びせ、その後もボコボコにして誰も被害を出す事がなく男は警察に逮捕された。
京本は藤野に感謝の気持ちを伝える時、小学校の時に4コマ漫画を描いてたプロ漫画家藤野である事に気付きます。
藤野は「連載を再開したらアシスタントになってね」と伝えます。
空想の物語を頭に描いた藤野ですが、二度と戻らない現実に気付き呆然とします。
しかしその後、京本の部屋で見つけた自分の作品や小学生時代に冗談半分で描いたサインなどが飾ってあることを見て、藤野は再び執筆活動を続ける続けるのでした。
ルックバック全体にあらすじについては以下で解説しているので参考にして下さい。
違う世界線を描いた意味を考察
ルックバックではストーリーが進んでいく中で、突如藤野が妄想した”違う世界線”がカットインしてきます。
なぜこの描写が入ってきたのか、この点について考察していきたいと思います。
私が思う作者のメッセージは以下の2点です。
- 違う世界線を描いた意味
- ①人間の心は弱いものであるというメッセージ
②心の中では生き続けているというメッセージ
人間の心は弱いものであるというメッセージ
今回起きた事件は藤野に何の責任もありません。
誰に責任があるかと言えば、美術大学を襲い大量殺人を行った犯人に責任がある訳です。
しかし作中で藤野は「京本を死に追いやったのは自分だ」と自分を責めます。
この心の動きは一種の現実逃避なのではないでしょうか。
私は”人間の心はとても弱いもの”だと思っています。
大好きな人が突然亡くなってたという現実は、なかなか受け入れがたいものですよね。
この状況は夢なのではないか?
もしこうだったら、こんな状況にならなかったのではないか?
そんな人間の心の弱さを描写するために、妄想シーンをカットインさせてきたのではないかと思います。
作者の藤本タツキさん自身の京アニ放火事件が起こった事に対して、今回の藤野のような『もしもの世界』を想像したのかもしれないですね。
心の中では生き続けているというメッセージ
妄想の中で、藤野は生き延びた京本に対して「連載を再開したらアシスタントになってね」と伝えます。
その後、藤野は京本の部屋に入り”藤野への愛情・尊敬に溢れた部屋”を見た藤野。京本の為にも漫画を描いていこうと決意し、執筆可動に勤しむ形になります。
藤野の妄想の中ではアシスタントに就任した京本。
今後藤野が漫画を描いていく中で、京本の存在はずっと残っていくでしょう。
週刊少年ジャンプで連載されている「ワンピース」の中でDrヒルルクがこんな言葉を残しています。
人はいつ死ぬと思う?…
人に忘れられた時さ
藤野の心の中には常に京本がいる。
そんなメッセージを伝える為に藤野が妄想した「もう一つの世界線」が描かれたのかもしれません。
違う世界線なら京本は生きていたのか?
京本は藤野と出会った事で引き籠りから脱出し、共同で漫画を描くことで社会性を身に付ける事が出来ました。
社会性を身に着けた京本は自身を成長させるために山形市の美術大学へ進学を決め、悲劇の結末を迎える事になってしまいます。
藤野は京本が自分と出会わなければ、京本は死ぬ事がなかったと自分を責めて違う世界線を妄想しますが、果たして違う世界線なら京本は生きていたのでしょうか?
この点について考察していきたいと思います。
結論は「京本が生きていたかどうかは分からない」
人間の未来は誰にも知る事が出来ません。
仮に京本と藤野が出会う事が無くても、京本が何かしらの出来事で立ち直って美術大学へ通いたいと思っていたかもしれません。
大学に通えば今回の事件に巻き込まれる可能性は出てくるわけで、京本が被害者になっていた可能性はあります。
藤野と出会わなければ京本は引き籠りのままだった可能性がある。
「引き籠りであれば京本は大学進学を目指すことなく生きていたのではないか?」という意見も当然あると思います。
もちろんその可能性もあります。
ただ引き籠ったままだったとしても、絶対に今を生きていられるという証明にはなりません。
人はいつだって不幸になる可能性があるからです。
・自宅にいても強盗に襲い掛かられて殺害されてしまうかもしれない。
・街を歩いていても車に突っ込まれて死亡事故に巻き込まれるかもしれない。
・ずっと家に居たら運動不足、栄養の偏りで病気になってしまうかもしれない
どんなに可能性が低いことでも、自分の身に不幸が起きる可能性は0ではありません。
まして大学に通っている時に、無差別テロのような形で男が殴り込んできて殺害される可能性なんて0とカウントしていいレベルの確率。
上記の事が起きる確率よりも遥かに低い確率の出来事だと言えるので、こんな不幸が起きてしまうのであれば別の可能性が起きる可能性も当然ある訳です。
余談ですが、私の中学校時代の同級生はジェットコースターに乗っている最中に転落、そのまま死亡してしまいました。
一度も話した事がなく名前と顔を知っている程度の仲でしたが、当時はテレビのニュースでも取り上げられており信じられないような気持ちになった事を覚えています。
悲しいことではありますが、人はリスクを許容して生きていく必要があります。
コロナ禍の動きからも分かるように日本はゼロリスク思考で物事を考える人が多いように感じます。ただ物事には全てリスクがつきまといます。
どんなに気を付けていても事故に遭う可能性はあるし、犯罪に巻き込まれる可能性はあります。
どんなに健康状態や栄養に気を付けていても病気で亡くなってしまう可能性はある。
リスクに怯えて行動を制限してしまうと可能性を失ってしまうだけでなく、新しいリスクを生むことになります。
仮に自分がルックバックでの藤野のような状態になってしまった時、絶望に打ちひしがれてしまうと思いますし、もしこうだったらと自分を責めたり妄想したりすることがあるかもしれません。
しかしながら人は生きていく限りリスクを背負っており、運が悪いと色々な事に巻き込まれたり命を失ったりする場合があります。
そういった事を肝に銘じながら当たり前の過ごせている毎日に感謝して、大切に生きていきたいですね。
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「ルックバック」をまだ読んでない?…正直、もったいない。
たった1話の読切なのに、心を鷲掴みにされた人、続出。
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まとめ
今回は「ルックバック」において、『違う世界線ならラストシーンは変わったのか?』という点について考察しました。
短編漫画でありながら、多くの見所が詰まっており、考えさせられる漫画。ストーリーとしても、読みやすいので、是非参考にしてください。
京アニ放火事件と京本の事件を比較して、作品のメッセージについても考えているので、その点の考察については以下をご覧下さい。